映画「442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」

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第11回マウイ・フィルム・フェスティバル 観客特別賞受賞
第23回東京国際映画祭 日本映画・ある視点部門 正式出品
映画「442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
哀しみ、怒り そして彼等は 大和魂で戦った―
名誉の為に命を賭け、栄光と偏見に挑んだ65年目の真実。
兵士たちの最後の証言で綴るドキュメンタリー。

アメリカ陸軍442連隊は、第二次大戦時に日系人で編成された部隊。父母の祖国・日本と戦う苦悩を抱えながら、アメリカの中で人種差別と戦い、ヨーロッパ戦線ではファシズムと戦った伝説の兵士たちだ。彼らはアメリカ軍史上最も多くの勲章を受けた部隊として、歴史に凛然と輝く。戦場での合言葉は 「ゴーフォーブローク!(当たって砕けろ!)」。
「442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」公式サイト:
http://www.442film.com/
【トレーラー】442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍:
http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=147

本作は日系アメリカ人として、星条旗を背負って戦う自尊心と愛国心、そして二つの祖国―日本とアメリカとの間で揺れる心の葛藤を描いた問題作。と同時に戦争と平和を巡る兵士たちの個人史でもある。現在、元兵士たちは90代半ばから90代と高齢になり、当事者たちによる貴重な証言はこれが最後になるかもしれない。
監督は、アメリカ在住のすずきじゅんいち。昨年公開作品『東洋宮武が覗いた時代』に次ぐ、日系人史ドキュメンタリー第2弾にして、最高作の呼び声も高く、2010年マウイ・フィルム・フェスティバル【観客特別賞】を受賞。7月末ロサンゼルスでの公開スタートから驚異の動員を記録、現在も全米各地での上映が続く。

映画「442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
■イントロダクション
『442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』は、第二次大戦時に日系人で編成された特殊部隊・442連隊戦闘団の真実と、生存者の現在を描いたドキュメンタリー作品。父母の祖国・日本と戦う苦悩を抱えながら、アメリカの中で人種差別と戦い、ヨーロッパ戦線ではファシズムと戦った伝説の兵士たちの物語である。
アメリカ軍史上最も多くの勲章を受けた部隊として、歴史に燦然と輝く。終戦後、ハリー・S・トルーマン第33代アメリカ合衆国大統領は『諸君は敵だけでなく偏見とも戦い、勝ったのだ』と最大級の賛辞を送り、自ら部隊の生還者を激励した。442連隊はアメリカ国内における日系人の地位向上に寄与しただけでなく、フランスをはじめとしたヨーロッパ諸国では、ファシズムからの解放をもたらしたヒーローとして、現在も語り継がれている。
監督はアメリカ在住のすずきじゅんいち。442連隊に迫った本作は、2009年公開作品『東洋宮武が覗いた時代』に次ぐ“日系人史ドキュメンタリー”第2弾にして最高作の呼び声も高く、今年6月に開催されたマウイ・フィルム・フェスティバルでは観客特別賞を受賞。7月末からはロサンゼルスでの公開がスタートし、初日より驚異的な動員を記録。現在も全米各地での上映が続いている。
現在80代半ばから90代となった元兵士の最後とも呼べる証言は“知られざる日系人史”であり、“442連隊兵士の個人史”でもある。先人たちの貴重な声が収められた本作が、平和を願う多くの人々に共有され、歴史の教訓として活かせる素材になれば幸いである。

映画「442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
■ストーリー
スティーブ・シミズ、89歳。日系人の彼は442連隊戦闘団の元兵士。カリフォルニアで妻と慎ましい生活を送るスティーブは、生涯で忘れ得ようもない時間を静かに回想する。「うまく行っていたんです。戦争が始まるまではね…」。

1941年12月8日、日本軍のハワイ真珠湾攻撃により、太平洋戦争が開戦。これはアメリカに住む日系人にとって苦難の幕開けを意味した。アメリカ国民であるにも関わらず、敵の日本人と同様の“敵国人”とみなされたのである。翌年2月、大統領令9066により、アメリカ西海岸に住む約12万人の日系アメリカ人と在米日本人は、急造された全米10ヵ所の強制収容所に入れられることになる。ハワイには1500名もの日系兵士が従軍していた。

彼らは国の為に戦いたくとも“敵性国民”として銃を取り上げられ、場合によっては除隊させられた。しかし、ハワイの軍の半数にも及ぶ日系人の処遇はアメリカ軍当局の頭痛の種となった。全員を除隊させると混乱が起きるのは目に見えていたし、かと言って他の米兵と同等に扱うことは無理であった。ミッドウエイ海戦が近づき、もし米軍が破れると日本軍がハワイに上陸するのは規定のこととされ、その時の混乱=日本軍と同じ顔の日系部隊がいるとどちらが敵か味方かわかりにくい、などの理由もあり、日系兵全員をひそかにアメリカ本土に移送した。そして、これらの日系アメリカ人だけで特殊な部隊、100大隊が結成されたのである。1942年5月のことであった。100大隊に所属した日系人兵士たちは、優秀な訓練成績を残し、軍からの高い評価を勝ち得るのであった。

連隊規模の日系人部隊の創設が決定し、ハワイやアメリカ本土の強制収容所からも兵が集められた。1943年2月1日、442連隊が結成される。当初、日系人兵士の中では、ハワイ出身者とアメリカ本土出身者の間に文化の違いによる確執もあったが、日系人強制収容所を訪れたのをきっかけに、“日系人への人種差別”を目の当たりにし、連隊としての結束を深めていくことになる。442連隊が本土で厳しい訓練に励む中、1943年9月、100大隊はイタリアへ上陸。ドイツ軍落下傘部隊との激しい戦闘を繰り広げることになる。
映画「442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
アメリカ本土での訓練を終えた442連隊は、イタリアへ送られて100大隊と合流。多くの死傷者を出しながらも、「ゴーフォーブローク!(当たって砕けろ)」を合言葉に、地獄のヨーロッパ戦線を乗り越えていく。
1944年9月、442連隊はフランス戦線に送り込まれた。命を賭した戦いにより、翌10月には、フランスの町・ブリエラをドイツ軍による長い占領から解放。442連隊は休む間もなく、ドイツ軍に包囲されたテキサス大隊の救出に向った。ドイツ軍が容赦ない攻撃を仕掛ける危機的状況の中、211名のテキサス大隊兵士を救出。しかし、442連隊は、救出者の数を遙かに上回る死傷者を出すことになる。

442連隊に属していた522野砲大隊は、配属の変更のため442連隊を離れ、ドイツへ進軍。彼らは、1945年4月末にナチスのダッハウ収容所を解放へ導いたのである。皮肉にも、アメリカ本土の日系人収容所から出征した兵士たちが、ユダヤ人収容所を解放するという歴史的な事実は、あまり公表されていない。
一方、442連隊はドイツ国境に近いフランス東北部での戦いを終え、フランス南部へ転戦。軍部の強い要望により、北イタリアにあるドイツ軍最後の生命線“ゴシックライン”へ送られたのである。442連隊は戦闘のエースとして期待される存在になっていた。

1945年8月15日、終戦。翌年の7月15日、ワシントンで442連隊の表彰式が行われ、大統領から迎えられた史上唯一の部隊となった。そして終戦から65年。最強の部隊として、アメリカ史上に名を残す442連隊の数少ない生存者たちは、家族に、そして現代に生きる我々に、戦場での記憶を語り始めた…。


■監督紹介
すずきじゅんいちJunichi Suzuki (1952-)
本名・鈴木潤一、神奈川県茅ヶ崎市生。神奈川県立湘南高等学校、東京大学文学部倫理学科卒業後、75年に日活の助監督となり、市川崑、西河克己、神代辰巳、小谷承靖、根岸吉太郎ら多数の監督に師事する。81年に八代亜紀のヒット曲『雨の慕情』をバックに思い入れのこもった秀作ロマンポルノ「婦人科病棟・やさしくもんで」で監督デビュー。そのやさしい眼差しはドキュメンタリー本作まで続いている。2001年に女優の榊原るみと結婚、以降はアメリカに在住。日本映画の海外セールスエージェンシー会社イレブンアーツの設立やプロデューサーとしても活動。本作は2009年公開作品「東洋宮武が覗いた時代」に次ぐ、アメリカ日系人史ドキュメンタリーシリーズの第2作目に当たる。万年青年の風貌とやさしい人柄に円熟味が加わり、今後は新たなジャンル作品の開拓が見込まれる。
●フィルモグラフィ
1981 「婦人科病棟・やさしくもんで」にっかつ
1982 「宇能鴻一郎の濡れて騎る」にっかつ
「女教師狩り」にっかつ
「お姉さんの太腿」にっかつ
1983 「宇能鴻一郎の濡れて学ぶ」にっかつ
1985 「制服肉奴隷」にっかつ
「令嬢肉奴隷」にっかつ
1987 「妖艶肉縛り」にっかつ
「偏差値H倶楽部」にっかつ
「赤い縄〜果てるまで〜」にっかつ
「檻の中の欲しがる女たち」にっかつ
1988 「マリリンに逢いたい」松竹冨士
1989 「砂の上のロビンソン」ATG
1991 「ふたりだけのアイランド」東映クラシック
1994 「連れ込み旅館の若女将」エクセス
「女帝」ケイエスエス
1995 「スキヤキ」フィルムヴォイス、シネセゾン
1996 「秋桜」エースピクチャーズ、映画センター
2001 「ひとりね」アルゴピクチャーズ
「青空へシュ−ト!」放映プロジェクト ※未公開
2006 「ホ−ンテッドハイウェイ」フィルムヴォイス
2009 「東洋宮武が覗いた時代」フィルムヴォイス

director's comment
アメリカでの上映中での出来事。白人のおじいさんが泣きながら劇場から出て来た。スタッフが尋ねたところ、映画を見ていて胸が一杯になり大声を出しそうだったから劇場を出たと、涙も拭わず答えた。
今、原稿を書いている段階では、まだアメリカ公開の途中で最終的な評価や動員はわからないが、現在4日間で4千数百人以上の動員を達成したのは予想を大きく越えた。ソールドアウトでもう券は売れないと言っても、立ってでも見たいと言う人は劇場を去らず、消防法違反は承知の上で立って見せることにもなった。
上映後、映画を見た日系人やアメリカ在住の日本の方から「映画を作ってくれて本当にありがとう」と言う声を沢山掛けてもらった。「日本人の魂の美しさ素晴らしさを映画を見て教えてもらった。是非沢山の日本に住む日本人に見てもらいたい」という声を多く聞いた。
「作ってくれてありがとう」という言葉はなかなか世界の巨匠の映画でも出て来ないと思う。商業映画の世界に生きて来た自分が、世の中に残さなければならない映画としてビジネスを度外視して作った映画が、そのように評価されたことは言葉にならない喜びである。

■レビュー
エモーショナルな知的感動
田中千世子[映画評論家・監督]:
1944年6月4日、ドイツが占領していたローマ陥落。連合軍のために働き、功のあった日系兵たちの100大隊は、今ローマ入城の一番乗りに胸を躍らせていた。しかし、入城したのは白人兵中心の隊列だった。ローマまであと10キロのところで100大隊にストップがかかったのだ。イタリア・ネオレアリスモの傑作『戦火のかなた』でローマ市民たちに花と歓喜の声で迎えられるアメリカのジープと歩兵の光景が、現代史の大いなる欺瞞だったとは—。
慟哭を伴うこのドラマティックな興奮の源は何だろう? 万国共通の正義感? 日系人に対するシンパシィ? それとも差別された日系人たちに寄せる判官びいきの心だろうか。歌舞伎の源義経九郎判官が逃げのびていく哀れさ。それと同じ感情を私は100大隊の英雄たちに抱いた。
100大隊はハワイの日系2世たちから成る軍隊だ。多くが徴兵された者たちで、もともとハワイ準州国土防衛軍に属していたが、日米開戦で日系兵だけ外されて作られた私生児のような大隊(ドウス昌代著「ブリエアの解放者たち」より)だったという。やがてそれは1943年に編成された442歩兵連隊(日系2世志願兵部隊)に第1大隊として編入される。

442連隊には本土からの志願兵とハワイ出身の志願兵がおり、訓練期間中、両者はいがみあっていたのが、本土の日系移民たちの収容所の実態(つまりそこからの脱出を念じての軍隊志願)を知ってからハワイ出身者の態度が変わったということが映画の中で説明される。日系部隊と一口に言っても単一にくくれない背景の複雑さが推測できる。しかし、この映画は複雑さばかりに向かうわけではない。4年間もドイツ軍に占領されたフランスの町を442連隊が命がけで解放した話にヒューマンな感動を覚えたり、英雄とは敵をどれだけ殺すかだ、と苦々しく語る元兵士の言葉の深さに引き込まれたりしながら私たちは現代史の闇や藪のなかを突き進む。知的でエモーショナルなこの体験は、すずきじゅんいち監督の芸術力によるのだろう。

80歳代、90歳代の442連隊の元兵士たちは今まで家族にも明かさなかった体験を語る。彼らひとりひとりの眼差しの強さが印象的だ。それをかたわらで聞く熟年の息子や娘たちの動揺を捉える映像。父親の、あるいは祖父の人生を初めて知った彼らは必死で涙をこらえている。またニュースフィルムの見事な挿入。いや、挿入というよりニュースフィルムそのものの力を信じた堂々たる編集である。収容所に送られる日系移民たち、ヨーロッパ戦線のさまざまなシーン、442連隊が救出するダッハウの強制収容所のユダヤ人たち等々。苛酷な戦争の実態を記録した白黒映像のリアル。時間を刻印しつつ時間を越える強靭さだ。

日系移民たちの強制収容所体験を当時の写真で構成した『東洋宮武が覗いた時代』で日系移民の精神史に新たな光を投じたすずきじゅんいち監督は、アメリカ在住9年になる。「日系人ではない自分」が新たに442連隊について映画を作ることには不安があったが、前作が持つ多面的な視点で日系人の歴史を描くことの意味を考えて本作に挑んだと彼は言う。実に控えめな言葉だが、視点の多面性、あるいは相対性は日活時代からのすずき監督の特徴であり、作家性そのものだと思う。それは「絶対」を信用しない思想である。ファシズムの対極にある考え方と言ってもいいだろう。
だから、日系人の収容所から軍隊に志願し、戦功をあげることで自らと家族・同胞のための栄誉を勝ち取ることを祈念した442連隊の兵たちと同等に、日系人を収容所に入れたことに対して国家の罪を問う人々をも「ヒーロー」としてすずき監督は位置づけるのである。反戦思想が貫かれる一方で、東條英機が日系人兵士は彼らの国、つまりアメリカのために戦えと、書き送ったこともまたこの映画は証言する。

相対性が何とも潔い。これは442連隊に町や村を救われたフランスの人々が永遠の感謝を示し、若い世代の歴史研究家が日系兵士の勇気と滅私の精神に高い評価を与える、その不動性と対照的ですらある。すずき監督のこの相対性は彼が学生時代から愛読している一休禅師の思想に拠っているのかもしれない。その意味からも日系人でも、レジスタンス研究の欧米人でもない日本人のすずきじゅんいちが442連隊を描く意味は大きいのである。

■プロダクションノート
インタビューさせて頂いた442の元兵士たちの多くは極めて元気である。スタッフもタジタジになる程のパワーを持っている。朝早くから行動し、山道もドンドン歩くし、重い荷物も平気で持つ。夜も遅くまでワインを飲んだり元気一杯だ。
どうしてこんなに元気なんだ?
戦争中の体験を聞いてみると、本当に皆、危機一髪、運が良くて生き延びて来たのがよく分かる。彼らはまた、自らのそうした体験と戦友たちの死や、敵を殺した事を通じて、戦後、ひどい戦争後遺症に悩まされて来たことも語ってくれた。
こうした究極の体験、苦悩に満ちた経験が、彼らの現在の人生に豊かな稔りを与えてくれたに違いない。
一方で、同じ442の兵士でも除隊後は戦争後遺症からアル中などで正気を失った人も少なくないと彼らは語っている。我々がインタビューした人たちは、本人の強い意志と努力によって健やかに元気でいられるのだろう。

フランスの米軍兵士の墓地から我々のロケは始まった。その後もイタリアにある墓地を含め、何カ所も米軍兵士の墓地を撮影した。どこでもとても美しく整備され、国の為に死んで行った兵士を厚く葬っていることがわかる。
我々撮影隊もそれを伝えたいと考えていた。
彼らの犠牲があって現在の我々があるのだから。
それに対し日本では国の為に命を掛けて戦った兵士たちへの顕彰や慰霊はあまりにお粗末ではないだろうか。日本は敗戦国として一億総懺悔し、戦争に導いた者や軍人に対しての特殊なアレルギーが形成されたので、素直にこうした事が出来ない事情はある。だが、「しかし…」という思いは消せない。
フランスのブリエラの町では65周年解放記念を町をあげて442の元兵士を歓迎し、現在もその感謝の気持ちを忘れていない。歴史とは、また歴史を伝承するとはこう言う事なのではという事も実感した。

戦争は人を殺し、また殺される、人間にとって究極の現場である。4ヶ月近くの撮影期間を通じて、我々はその意味を問い続けることになった。どんな兵士にも勝者はいない。皆心に深い傷を負うのが分かった。若者特有の冒険心から出征した人もいるし、3等国民と見られていた日系アメリカ人の地位を何とかあげたいと志願した人もいた。様々な動機はあっても、結果として皆戦争の悲惨さは、異口同音に語ってくれた。

確かに442の活躍で日系人だけでなくアジア系移民にもアメリカ国民になれる道が拓かれ、日系人の地位も大きく向上はしている。が、それでも戦争の御陰というふうには言いたくはない。それが撮影を通じて出た考えである。


■コメント
北康利[ノンフィクション作家]
凄い…凄すぎる…感動で涙が止まらない。
素晴らしい役者はごまんといるが、本人でないと伝わらないものがある。スクリーンから、今撮っておかないと…という使命感さえ伝わってきて、大きな感動とともに作り手への感謝の思いがこみ上げてくる。
日系アメリカ人部隊(「442連隊」)にとって、祖国はアメリカであった。彼らは躊躇せずアメリカのために戦い、父祖の地・日本をも敵国と認識しなければならなかった。心中葛藤があったであろうことは容易に知れる。
しかし彼らは、その国の国籍を持つことの重さを、権利は義務と不即不離であることを、日本人であるという誇りとともに世に示したのだ。それは最近の外国人参政権に関する浅薄な議論に冷水を浴びせるものでもあろう。
イタリアにいた頃、モンテ・カッシーノ修道院をよく見上げたが、そこでの彼らの壮絶な戦いも、地元民が彼らに感謝して建立したサダオ・ムネモリ像の存在も知らなかった。
日本人として実に恥ずかしい…情けない。大いに反省させられた。
彼らを誇らずして何を誇ろう。一人でも多くの方に観てもらいたい、魂を揺さぶられる映画である。

田母神俊雄[前航空幕僚長]
アメリカが如何に軍人を大切にし敬意を払っているかが伝わってくる映画である。こうでなくては人間は命を懸けて戦えない。これに比較すれば我が国の政治家は自衛隊にほとんど興味を示さない。総理大臣が自衛隊の部隊を訪問することは皆無である。靖国参拝も行われない。国を守ることを忘れた政治家に自衛隊に敬意を払えということは無理な注文かもしれないが、アメリカ大統領と軍の関係を見れば自衛隊員は羨ましく思うだろう。精強な軍が後ろで構えているからこそ平和的な外交交渉が出来るということを我が国の政治家も理解することが必要である。
さらに東條総理大臣が、日系人に対し「君たちはアメリカ国民なのだからアメリカのために戦え」と言っていることは、日本の正々堂々の武士道の精神躍起たるものがある。しかし正々堂々は腹黒い国際政治の中では通用しないことが多いことも理解しておかなければならないと思う。

山際澄夫[ジャーナリスト]
栄誉は戦友のため——。
「自分はヒーローなんかではない。勲章をもらったのは死んだ戦友のためだ」。442連隊に参加した生き残りの老兵の一人は絞り出すようにこう叫んだ。戦争の時代、彼ら日系二世は人種偏見と差別のなかで、欧州戦線で誰よりも勇敢に戦い、彼らもまた米国民であることを認めさせる大きな戦果をもたらしたのである。映画の元兵士たちはみんな素朴で自信に溢れている。祖国とは何か、戦争とは何か、現代日本人にこそ観てほしい。

宮嶋茂樹[カメラマン]
東條英機、松岡洋祐の話は初めて知りました。
また徴兵拒否した側の論理も紹介され、編集もカメラワークも秀逸でした。特に「アメリカは世界一の国だ」の件、日本人として鼻に付くどころか反省しきりです。国のために戦った人たちを尊敬し、それに見合う名誉を与え、かつ強制収容を詫びる寛容さは、まさに大国の太っ腹でした。
私も地獄を見てきたつもりですが、442の方々また日本の先輩からすれば、まだまだかわいいものです。それをワンワン泣き叫ぶことなく、さらっと言ってしまうところが、ホンモノの地獄を見てきた男の証でしょう。

日下公人[評論家]
442連隊のことを知ったのは終戦直後のリーダース・ダイジェスト誌で、日系二世部隊の勇敢さにアメリカ中が感動したと書いてあったが、あまりにも悲しい話なので喜べなかった。
勇戦敢闘は日本人の誇るべき特性だが、それが人種差別に対する戦いに発揮されていることについて、アメリカ人が気がつかないフリをしていることと、その厚い壁に二世の人達が正面から挑戦したことの偉大さに深く共感して言葉が出なかった。
二十世紀における世界最大の事件は、日本人が白人の人種差別に単独で挑戦し、しかも勝ったことだが、それを現在の日本人は気がついていない。自分の名誉を守るという当然のことをしたまでだと思っている。
しかし、その勝利のおかげで、アメリカには、戦後、公民権法ができた。いわば、リンカーンにつづく、二度目の黒人解放である。また、男女同権や少数民族保護が実現した。さらに世界には、有色人種の独立国がたくさん誕生した。
その戦いに参加しなかった国は、さぞや後ろめたいだろうと思うが、しかし、日本人は、それを言わない。この映画に登場する日系一世、二世の方々の深い表情の裏に、それを感じとれるアメリカ人が、この映画で広がることを期待している。今の日本人にも。

島村洋子[小説家]
本作品は、全編にわたり「矛盾」をはらんでいる。彼等は本物の米国人になるために、自分たちの親(すなわち一世)の日本的な教えを忠実に守るのである。
「恥」「辛抱」「努力」などの日本語を二世たちは一世から学んでいるのだ。
彼等は米国のために戦っているのに、どんどん日本人の美点を広める活動をしているようにも思える。
442連隊の勇敢さは世界中で知られている。ナチスがやった人道的犯罪の象徴的収容所であるダッハウを解放したのも彼等であり、イタリアでもフランスでもその勇名は轟いているのだ。
日系人が受けたいわれなき「差別」を、彼等はその行動によって跳ね返していく。そしていつのまにか彼等は「尊敬」されるまでに至る。
その経緯は驚きであるが、私たち日本人にとっては必然のような気もする。
442連隊にこそ大和魂は存在する。
11月13日(土)より、新宿K’s cinemaにて都内独占ロードショー
横浜ニューテアトルにてロードショー(全国順次公開)
公式サイト:http://www.442film.com/

企画・脚本・監督 : すずきじゅんいち
製作総指揮 : 鈴木隆一(フィルムヴォイス)、早川敏和(UTB)
共同総指揮 : 古賀哲夫(NTTLS)
チーフプロデューサー : 寺坂重人
プロデューサー : 岡野進一郎、羽田アン 
音楽 : 喜多郎
撮影監督 : 小渕将史
編集 : 水原徹
ナレーション : レーン・ニシカワ
出演:ダニエル・イノウエ(現米国上院議員)、スティーブ・シミズ、ネルソン・アカギ、ジョージ・サカト、ジョージ・カナタニ、テッド・ツキヤマ、ローソン・サカイ、マツジ・サクモト、ヨシアキ・フジタニ、ススム・イトウ、アーサー・イワサキ、エドワード・ヤマサキ、サム・サカモト、バーニー・ハジロ

翻訳 : 秋本みゆき
特別協力:ジョージ・アラタニ/アイリーン・ヒラノ/海部優子
     DOMOミュージックグループ/MI(ミュージシャンズ インスティテュート)
協力:ゴーフォーブロークナショナルエデュケーションセンター/全米日系人博物館
  ドーモミュージックグループ/日米文化会館/フレンズ アンド ファミリー ニセイ ベテランズ
後援 :日米メディア協会(ユマ朝倉)
制作 : UTB、フィルムヴォイス
製作 : 442フィルムパートナーズ
   UTB、フィルムヴォイス、NTTラーニングシステムズ
    かねふくアメリカ、米国日本ハム、レドンド社
配給:フィルムヴォイス

第11回マウイ・フィルム・フェスティバル 観客特別賞受賞
第23回東京国際映画祭 日本映画・ある視点部門 正式出品

[2010年/日米合作/カラー&BW/ステレオ/HDCAM/97分]
原題:442-Live with Honor, Die with Dignity-


(C)442Film Partners


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