自動小銃 AK-47 生みの親「ミハイル・カラシニコフ」氏が死去、94 歳

ミリタリーブログサポートチーム

2013年12月24日 13:14

旧ソ連の銃器設計者で自動小銃 AK-47 の生みの親、Mikhail Kalashnikov (ミハイル・カラシニコフ) 氏が 12/23 (月)、ロシア中部 Udmurtia (ウドムルト) 共和国 Izhevsk (イジェフスク) 市内の病院で死去した。享年 94 歳。同氏は持病の心臓病を患っており、近年は入退院を繰り返していた。1 週間ほど前からは胃からの出血が確認され、重篤の状態となっていたことが伝えられていた。
1919 年生まれの同氏は、38 年の徴兵後、第二次世界大戦では戦車長として参加。負傷して第一線を退いた後、銃器設計に取り組み AK-47 (「カラシニコフの自動小銃(Kalashnikov's Automatic)」) を開発。ソ連軍での正式採用後、廉価でその質実剛健さから、世界中で拡散され「人類史上、最も多くの人を殺した武器」とも言われている。晩年、このことについて同氏は「母国を守るために造ったものであり、時に不適切な場所で使われたこともあるが、それは私の責任ではない。政治の責任である」と語った。「カラシニコフ銃」は世界の紛争地を中心に、現在までに 1 億挺以上が出回っているとされる。2009 年、氏はロシアで最高位の勲章「ロシア連邦英雄」を受章している。

Russia Today 2013/12/23
Voice of Russia 2013/12/23

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