自動小銃 AK-47 生みの親「ミハイル・カラシニコフ」氏が死去、94 歳

1919 年生まれの同氏は、38 年の徴兵後、第二次世界大戦では戦車長として参加。負傷して第一線を退いた後、銃器設計に取り組み AK-47 (「カラシニコフの自動小銃(Kalashnikov's Automatic)」) を開発。ソ連軍での正式採用後、廉価でその質実剛健さから、世界中で拡散され「人類史上、最も多くの人を殺した武器」とも言われている。晩年、このことについて同氏は「母国を守るために造ったものであり、時に不適切な場所で使われたこともあるが、それは私の責任ではない。政治の責任である」と語った。「カラシニコフ銃」は世界の紛争地を中心に、現在までに 1 億挺以上が出回っているとされる。2009 年、氏はロシアで最高位の勲章「ロシア連邦英雄」を受章している。
Russia Today 2013/12/23
Voice of Russia 2013/12/23
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