映画「二つの祖国で 日系陸軍情報部」、12月8日公開
2012年 山路ふみ子文化賞授賞、「442日系部隊」に続く、衝撃のドキュメンタリー映画「二つの祖国で 日系陸軍情報部」(すずきじゅんいち監督作品) が 2012年12月8日 公開決定。
長い間、秘密情報部員という性格上、MIS の存在自体が国家の最高機密として極秘扱いであった。米国の国籍を持ちながら、国内で人種差別と戦い、父母の祖国・日本と戦う運命を受け入れた日系二世たち。祖国米国に忠誠を誓い、勝利に貢献し、戦後は日米の架け橋として日本再建に尽力した兵士たちである。彼らは長い沈黙を破り、二つの祖国への想いを語り始める・・・。
米国では大統領、副大統領の次の地位にある長老上院議員ダニエル・イノウエ、元ハワイ州知事のジョージ・アリヨシ、共和党と民主党政権で大臣を務めたノーマン・ミネタなど80 名にも及ぶ多数の元兵士たちにインタビューを敢行。日米両軍や民間人に多数の死傷者を出した沖縄でもロケを行い、沖縄戦の悲劇も映し出している。日系四世の世界的ウクレレ奏者ジェイク・シマブクロ、「ベストキッド2」(86)が懐かしい沖縄出身の国際女優タムリン・トミタも出演、若い世代からのメッセージを語っている。
日本と米国の〈国〉というものに翻弄されながらも、両国の為に尽くした日系人の物語である。
すずきじゅんいち監督、渾身の日系史ドキュメンタリー三部作(「東洋宮武が覗いた時代」2008、「442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」2010)が、いよいよ完結!
アメリカに丸11 年間住んだ。この間、日系アメリカ人の第二次大戦時の歴史を描く長編記録映画三本を作ったのは、意義のあった仕事だったと思う。その日系史映画三部作とは何かと言えば、最初が東洋宮武の500 枚以上の写真を中心に、米国政府による差別的な日系人強制収容を描いた「東洋宮武が覗いた時代」。次が、日系人の米国内での地位を戦後大幅に上げるキッカケになった、大和魂で戦い欧州戦線で大活躍した「442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」。そして三作目が、米軍日系秘密情報部員たちの日本との戦いと、戦後日本の復興に果たした役割を描いた「二つの祖国で・日系陸軍情報部」の三本である。
日系アメリカ人を知る事は、日本人としての自分を客観視出来るヒントを与えてくれるし、また現在の日本とアメリカの関係などを考える上で、とても役に立つと思い、映画だけでなく本にもして「1941 日系アメリカ人と大和魂」(文藝春秋刊)も作った。ちなみに9月発刊予定。
ロスに住み、多くの日系人と出会い、彼らの歴史を自分があまりに知らないことに気づき呆然とした。そこで、自分の専門である映画で彼らの歴史を分かり易く語り、ボク同様に日系人の歴史を知らない多くの日本人に知ってもらうのが自分の監督としての務めかもしれないと思ったのがこれらの出発点であった。
日本軍が真珠湾を攻撃し太平洋戦争が始まった12 月8日、三部作最後の作品「二つの祖国で・日系陸軍情報部」が封切り日になるのも、我々が巧んだ事ではなく、本当の偶然だ。
すずきじゅんいち、60 歳。神奈川県茅ヶ崎市出身。
湘南高校を卒業、東大倫理学科で学び、日活に助監督として入社。22 人の監督に助監督としてつく。そして29 歳で、監督昇進。撮影所長に呼ばれ「監督をする気があるか」と尋ねられ、監督名が書かれていない台本を見せられる。詳細を撮影所長に聞くと「皆が断り監督する者がいず困り果て、すずきになった」との事。つまり、ついでに監督就任。すずきは、それでも30 年以上監督を続け、20 数本の映画を撮って来たという奇跡が起こる。
40 歳半ばにして、女優の榊原るみ(つまり私ですが)と幸運にも巡り会い、結婚してアメリカに渡り、映画配給や製作会社のイレブンアーツ(つまりジュンイチ=11の芸術)を作り、日本映画をアメリカで拡げ、海外に販売するという慣れない事を始め、映画も超低予算のホラーを作りました。その後、会社をパートナーに譲り、フリーとなって、日系アメリカ人の歴史を描く映画三部作を作る事になりました。
最初の2本は私が映画を指導したのですが、タイトルは謙虚に「監督の補助」としていたのです。しかし、三部作最後の映画では、やはり「監督の監督」という嘘偽りのないクレジットを要求し、勿論拒める人は誰もいないので、そうなった次第。すずきじゅんいち君の簡単な履歴(?)と、映画史でも無い「監督の監督」という私のクレジットの由来です。
主な作品:「マリリンに逢いたい」(88)/「砂の上のロビンソン」(89)/「秋桜」(96)/「ホーンテッドハイウェイ」(06)
この9 月で88 歳になるダニエル・イノウエ上院議員は、ハワイ州選出の下院議員としてワシントンへ到着以来、53 年にわたって国政に携わってきた。かつてロースクール留学中にインターンとして仕えた縁があり、今でも時々お目にかかる。先日久しぶりで会い、「相変わらずお元気ですね、何か体を使う運動をしているのですか」と尋ねたら、「いや何もしない。戦争中に運動はすべてしたから」と答えが返ってきた。
真珠湾攻撃のとき、イノウエ議員はまだ十代であった。軍に入りハワイを去るとき、父親は彼を呼んで、「われわれイノウエ家の人間は、このアメリカ合衆国に恩がある。その恩を返すために兵士として最善をつくすように」と励ましたという。すずきじゅんいち監督の前作「442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」は、祖国を守るため、アメリカへの忠誠を示すために、軍へ志願し勇敢に戦い、多くの犠牲者を出しながら数々の戦功を挙げた、日系米人の物語である。
今回、監督は再びアメリカ軍人として戦った日系人を、「二つの祖国で・日系陸軍情報部」を通して描く。本作品の主人公たちは、さらに難しい立場に置かれていた。彼らのほとんどは親の方針でいったん日本へ戻され、教育を受けている。日本ではアメリカ人としていじめられ、アメリカへ戻ると「キベイ(帰米)」と呼ばれ、なかなか周囲になじめなかった。人にもよるが、今でも彼らの英語にはなまりがある。
米軍は日本語がわかるこのキベイたちに目をつけ、特訓をほどこし、太平洋戦線でMIS の情報要員として用いた。
すずき監督は、この人たちの経験や思いを一般化しない。説明しようともしない。今は年老いた元MIS の兵士たちにひたすら話をさせる。彼らは記憶をたどり、淡々と語る。そして涙を流す。開戦前に日本を去りそこねた弟が、日本の軍人として戦死したのを戦後知った。数年前まで友人たちと駆け回った沖縄の島に上陸した。
捕虜となった同郷の友人と尋問室で再会した。目の前で射殺された日本人兵士の懐に若い妻と子供の写真をみつけ、上官の白人将校と共に深い悲しみを味わった。自分がアメリカ人として戦ったことが心にひっかかり、立派な日本人となるよう教えた尊敬する大叔父に、戦後日本へ戻ってもどうしても会いにいけなかった。こうした重い経験を他人が言葉で表すことなど、できない。すべきでもない。
第二次大戦中の日系人の経験は特異なものだが、二つの祖国や文化のあいだで悩み苦しんだ人たちは、歴史上他にも大勢いた。古くはローマの支配に対し反乱を起こし徹底的に戦うものの、最後は鎮圧されパレスチナの地を追われる同胞たちの姿を、ローマ側で記録したユダヤ人歴史家ヨセフス。同じ家族のなかで親子や兄弟が敵味方に分かれて戦った、南北戦争時の多くのアメリカ人。日本人として育ち、教育を受け、戦争に負けて日本人が去ったあとも日本の文化を愛慕し続けた台湾の人々。
そもそもアメリカという国では、多くの国民、特に最初に移民として海を渡った世代とその家族が、二つの国と文化のあいだで葛藤を味わう。新しい土地で成功しようと懸命に働き、子供をアメリカ人として育てながら、後にした祖国の山河をなつかしむ。アイルランド人が、アルメニア人が、そんな記憶をそれぞれ紡いできた。アメリカには移民の数だけアメリカの物語がある。この作品は、MIS の兵士として特異な経験をした日系アメリカ人たちを、そんなより大きな文脈でも考えさせる。
442連隊の兵士たち、MIS の兵士たち、その多くはすでに世を去り、生き残った者も歳を重ねた。戦後彼らの人生は決して平坦でなかったが、アメリカ国家は彼らを祖国の英雄として尊敬し、名誉を与えた。彼らは立派なアメリカ国民であるが、同時に日本人としての心を十二分に持つ人たちでもある。
この作品を通してわれわれの多くは、これまであまり語られることのなかったMIS の兵士たちの事績を初めて知る。彼らの記憶をわれわれの歴史の一部として大切にし、立派な日本人でもある彼らに改めて敬意を表したいと思う。
音楽:喜多郎
製作:鈴木隆一、渋谷尚武、古賀哲夫、櫻井雄一郎
出演:ハりー・アクネ、グランド・イチカワ、ノーマン・ミネタ、ダニエル・イノウエ、ジェイク・シマブクロ、タムリン・トミタ他
MIS フィルムパートナーズ作品
第25回東京国際映画祭公式出品作品
[2012 年/日米合作/カラー&BW/ステレオ/HDCAM/100 分]
©MIS FILM Partners
「二つの祖国で・日系陸軍情報部」は、米国陸軍の秘密情報機関=MIS(ミリタリーインテリジェンスサービス)の中心メンバーであった日系二世の元兵士たちの証言をベースに、太平洋戦争の米国側の極秘情報を取り上げて描く問題作である。日米両国で差別された日系二世。
太平洋戦争に翻弄され、
そして・・・兄弟が敵味方に分かれて戦った―
『二つの祖国で日系陸軍情報部』
(原題:MIS –Human Secret Weapon–)
http://mis-film.com/
新宿K’s cinema、銀座テアトルシネマ、銀座シネパトス他
12 月8 日(土)より全国順次ロードショー
長い間、秘密情報部員という性格上、MIS の存在自体が国家の最高機密として極秘扱いであった。米国の国籍を持ちながら、国内で人種差別と戦い、父母の祖国・日本と戦う運命を受け入れた日系二世たち。祖国米国に忠誠を誓い、勝利に貢献し、戦後は日米の架け橋として日本再建に尽力した兵士たちである。彼らは長い沈黙を破り、二つの祖国への想いを語り始める・・・。
米国では大統領、副大統領の次の地位にある長老上院議員ダニエル・イノウエ、元ハワイ州知事のジョージ・アリヨシ、共和党と民主党政権で大臣を務めたノーマン・ミネタなど80 名にも及ぶ多数の元兵士たちにインタビューを敢行。日米両軍や民間人に多数の死傷者を出した沖縄でもロケを行い、沖縄戦の悲劇も映し出している。日系四世の世界的ウクレレ奏者ジェイク・シマブクロ、「ベストキッド2」(86)が懐かしい沖縄出身の国際女優タムリン・トミタも出演、若い世代からのメッセージを語っている。
日本と米国の〈国〉というものに翻弄されながらも、両国の為に尽くした日系人の物語である。
すずきじゅんいち監督、渾身の日系史ドキュメンタリー三部作(「東洋宮武が覗いた時代」2008、「442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」2010)が、いよいよ完結!
■日系史映画三部作を撮り終えてすずきじゅんいち(監督)
アメリカに丸11 年間住んだ。この間、日系アメリカ人の第二次大戦時の歴史を描く長編記録映画三本を作ったのは、意義のあった仕事だったと思う。その日系史映画三部作とは何かと言えば、最初が東洋宮武の500 枚以上の写真を中心に、米国政府による差別的な日系人強制収容を描いた「東洋宮武が覗いた時代」。次が、日系人の米国内での地位を戦後大幅に上げるキッカケになった、大和魂で戦い欧州戦線で大活躍した「442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」。そして三作目が、米軍日系秘密情報部員たちの日本との戦いと、戦後日本の復興に果たした役割を描いた「二つの祖国で・日系陸軍情報部」の三本である。
日系アメリカ人を知る事は、日本人としての自分を客観視出来るヒントを与えてくれるし、また現在の日本とアメリカの関係などを考える上で、とても役に立つと思い、映画だけでなく本にもして「1941 日系アメリカ人と大和魂」(文藝春秋刊)も作った。ちなみに9月発刊予定。
ロスに住み、多くの日系人と出会い、彼らの歴史を自分があまりに知らないことに気づき呆然とした。そこで、自分の専門である映画で彼らの歴史を分かり易く語り、ボク同様に日系人の歴史を知らない多くの日本人に知ってもらうのが自分の監督としての務めかもしれないと思ったのがこれらの出発点であった。
日本軍が真珠湾を攻撃し太平洋戦争が始まった12 月8日、三部作最後の作品「二つの祖国で・日系陸軍情報部」が封切り日になるのも、我々が巧んだ事ではなく、本当の偶然だ。
監督紹介榊原るみ(監督の監督)
すずきじゅんいち、60 歳。神奈川県茅ヶ崎市出身。
湘南高校を卒業、東大倫理学科で学び、日活に助監督として入社。22 人の監督に助監督としてつく。そして29 歳で、監督昇進。撮影所長に呼ばれ「監督をする気があるか」と尋ねられ、監督名が書かれていない台本を見せられる。詳細を撮影所長に聞くと「皆が断り監督する者がいず困り果て、すずきになった」との事。つまり、ついでに監督就任。すずきは、それでも30 年以上監督を続け、20 数本の映画を撮って来たという奇跡が起こる。
40 歳半ばにして、女優の榊原るみ(つまり私ですが)と幸運にも巡り会い、結婚してアメリカに渡り、映画配給や製作会社のイレブンアーツ(つまりジュンイチ=11の芸術)を作り、日本映画をアメリカで拡げ、海外に販売するという慣れない事を始め、映画も超低予算のホラーを作りました。その後、会社をパートナーに譲り、フリーとなって、日系アメリカ人の歴史を描く映画三部作を作る事になりました。
最初の2本は私が映画を指導したのですが、タイトルは謙虚に「監督の補助」としていたのです。しかし、三部作最後の映画では、やはり「監督の監督」という嘘偽りのないクレジットを要求し、勿論拒める人は誰もいないので、そうなった次第。すずきじゅんいち君の簡単な履歴(?)と、映画史でも無い「監督の監督」という私のクレジットの由来です。
主な作品:「マリリンに逢いたい」(88)/「砂の上のロビンソン」(89)/「秋桜」(96)/「ホーンテッドハイウェイ」(06)
二つの祖国阿川尚之(慶應義塾大学教授)
この9 月で88 歳になるダニエル・イノウエ上院議員は、ハワイ州選出の下院議員としてワシントンへ到着以来、53 年にわたって国政に携わってきた。かつてロースクール留学中にインターンとして仕えた縁があり、今でも時々お目にかかる。先日久しぶりで会い、「相変わらずお元気ですね、何か体を使う運動をしているのですか」と尋ねたら、「いや何もしない。戦争中に運動はすべてしたから」と答えが返ってきた。
真珠湾攻撃のとき、イノウエ議員はまだ十代であった。軍に入りハワイを去るとき、父親は彼を呼んで、「われわれイノウエ家の人間は、このアメリカ合衆国に恩がある。その恩を返すために兵士として最善をつくすように」と励ましたという。すずきじゅんいち監督の前作「442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」は、祖国を守るため、アメリカへの忠誠を示すために、軍へ志願し勇敢に戦い、多くの犠牲者を出しながら数々の戦功を挙げた、日系米人の物語である。
今回、監督は再びアメリカ軍人として戦った日系人を、「二つの祖国で・日系陸軍情報部」を通して描く。本作品の主人公たちは、さらに難しい立場に置かれていた。彼らのほとんどは親の方針でいったん日本へ戻され、教育を受けている。日本ではアメリカ人としていじめられ、アメリカへ戻ると「キベイ(帰米)」と呼ばれ、なかなか周囲になじめなかった。人にもよるが、今でも彼らの英語にはなまりがある。
米軍は日本語がわかるこのキベイたちに目をつけ、特訓をほどこし、太平洋戦線でMIS の情報要員として用いた。
すずき監督は、この人たちの経験や思いを一般化しない。説明しようともしない。今は年老いた元MIS の兵士たちにひたすら話をさせる。彼らは記憶をたどり、淡々と語る。そして涙を流す。開戦前に日本を去りそこねた弟が、日本の軍人として戦死したのを戦後知った。数年前まで友人たちと駆け回った沖縄の島に上陸した。
捕虜となった同郷の友人と尋問室で再会した。目の前で射殺された日本人兵士の懐に若い妻と子供の写真をみつけ、上官の白人将校と共に深い悲しみを味わった。自分がアメリカ人として戦ったことが心にひっかかり、立派な日本人となるよう教えた尊敬する大叔父に、戦後日本へ戻ってもどうしても会いにいけなかった。こうした重い経験を他人が言葉で表すことなど、できない。すべきでもない。
第二次大戦中の日系人の経験は特異なものだが、二つの祖国や文化のあいだで悩み苦しんだ人たちは、歴史上他にも大勢いた。古くはローマの支配に対し反乱を起こし徹底的に戦うものの、最後は鎮圧されパレスチナの地を追われる同胞たちの姿を、ローマ側で記録したユダヤ人歴史家ヨセフス。同じ家族のなかで親子や兄弟が敵味方に分かれて戦った、南北戦争時の多くのアメリカ人。日本人として育ち、教育を受け、戦争に負けて日本人が去ったあとも日本の文化を愛慕し続けた台湾の人々。
そもそもアメリカという国では、多くの国民、特に最初に移民として海を渡った世代とその家族が、二つの国と文化のあいだで葛藤を味わう。新しい土地で成功しようと懸命に働き、子供をアメリカ人として育てながら、後にした祖国の山河をなつかしむ。アイルランド人が、アルメニア人が、そんな記憶をそれぞれ紡いできた。アメリカには移民の数だけアメリカの物語がある。この作品は、MIS の兵士として特異な経験をした日系アメリカ人たちを、そんなより大きな文脈でも考えさせる。
442連隊の兵士たち、MIS の兵士たち、その多くはすでに世を去り、生き残った者も歳を重ねた。戦後彼らの人生は決して平坦でなかったが、アメリカ国家は彼らを祖国の英雄として尊敬し、名誉を与えた。彼らは立派なアメリカ国民であるが、同時に日本人としての心を十二分に持つ人たちでもある。
この作品を通してわれわれの多くは、これまであまり語られることのなかったMIS の兵士たちの事績を初めて知る。彼らの記憶をわれわれの歴史の一部として大切にし、立派な日本人でもある彼らに改めて敬意を表したいと思う。
企画・脚本・監督:すずきじゅんいち『二つの祖国で日系陸軍情報部』
(原題:MIS –Human Secret Weapon–)
http://mis-film.com/
新宿K’s cinema、銀座テアトルシネマ、銀座シネパトス他
12 月8 日(土)より全国順次ロードショー
音楽:喜多郎
製作:鈴木隆一、渋谷尚武、古賀哲夫、櫻井雄一郎
出演:ハりー・アクネ、グランド・イチカワ、ノーマン・ミネタ、ダニエル・イノウエ、ジェイク・シマブクロ、タムリン・トミタ他
MIS フィルムパートナーズ作品
第25回東京国際映画祭公式出品作品
[2012 年/日米合作/カラー&BW/ステレオ/HDCAM/100 分]
©MIS FILM Partners
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