米軍史上初の黒人女性 U-2 パイロット

話題の主となっているのは、ニューヨーク州ブロンクス出身の Merryl Tengesdal 中佐。
Tengesdal 中佐は、「米空軍は航空史上の常に最先端に位置し、人種の壁を打ち破ってきた歴史がある」とし、今回自身が初の黒人女性 U-2 パイロットとして米空軍史上にその名を残すことを「非常に誇らしいと思う」と語っている。
また、記事では米空軍で過去にTengesdal 中佐を含め 8 名の女性 U-2 パイロットが存在したことや、Tengesdal 中佐が米軍航空機史上で初の黒人女性パイロットとなることについても触れて紹介している。
犯罪発生率の高いことで知られるニューヨーク州ブロンクス出身の彼女は、高校時代は数学と科学を得意とし、母と教師の導きもあって優秀な成績で卒業。コネティカット州のニューヘイブン大学 (University of New Haven) へ進学し、電気科学工学を専攻。1994 年に卒業後、同年 9 月に海軍幹部候補生学校に進み、飛行訓練に参加。
90 年代半ばは折しも、米軍で女性兵士の戦闘役割について開放策が始まった時期でもあるとし、戦闘パイロットはその 1 つの機会であったとされる。その後、彼女は対潜戦や救難救助、対艦および特殊作戦に供する海軍の SH-60B シーホーク ヘリコプターのパイロットへとそのキャリアを進めている。
更なる飛行への高みを目指した彼女は、2004 年に空軍への配置転換 (cross-commission) をおこない、1,000 名弱のパイロットが参加する U-2 計画へ名乗りを上げている。U-2 パイロット訓練は 9 ヶ月に渡る厳しいものとなり、晴れて訓練を終えたものだけが世界各国での転戦へと門戸が広がるとされる。
厳しい訓練を終えた彼女は、アフガニスタン・イラクでの Operation Olive Harvest に参加した他、アフリカ最東北端、ソマリア・ジブチ・エチオピア付近の通称「Horn of Africa」周辺で支援任務に当たっている。その結果、彼女のパイロットとしてのキャリアは積み上げられ、3,400 飛行時間と戦闘任務従事 330 時間 (combat hours) 以上の実績を持つに至っている。
ドラゴンレディ (Dragon Lady) の愛称を持つ高高度偵察機の U-2 は、50 年以上に渡って現在も運用されている米空軍史上でも数少ない機体の 1 つ。1955 年 8 月 1 日の初飛行から今年で 60 周年を迎える。
9th Reconnaissance Wing Public Affairs 2015/02/10
U.S. Air Force photo/Senior Airman Bobby Cummings
90 年代半ばは折しも、米軍で女性兵士の戦闘役割について開放策が始まった時期でもあるとし、戦闘パイロットはその 1 つの機会であったとされる。その後、彼女は対潜戦や救難救助、対艦および特殊作戦に供する海軍の SH-60B シーホーク ヘリコプターのパイロットへとそのキャリアを進めている。
更なる飛行への高みを目指した彼女は、2004 年に空軍への配置転換 (cross-commission) をおこない、1,000 名弱のパイロットが参加する U-2 計画へ名乗りを上げている。U-2 パイロット訓練は 9 ヶ月に渡る厳しいものとなり、晴れて訓練を終えたものだけが世界各国での転戦へと門戸が広がるとされる。
厳しい訓練を終えた彼女は、アフガニスタン・イラクでの Operation Olive Harvest に参加した他、アフリカ最東北端、ソマリア・ジブチ・エチオピア付近の通称「Horn of Africa」周辺で支援任務に当たっている。その結果、彼女のパイロットとしてのキャリアは積み上げられ、3,400 飛行時間と戦闘任務従事 330 時間 (combat hours) 以上の実績を持つに至っている。
ドラゴンレディ (Dragon Lady) の愛称を持つ高高度偵察機の U-2 は、50 年以上に渡って現在も運用されている米空軍史上でも数少ない機体の 1 つ。1955 年 8 月 1 日の初飛行から今年で 60 周年を迎える。
9th Reconnaissance Wing Public Affairs 2015/02/10
U.S. Air Force photo/Senior Airman Bobby Cummings
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