ベトナム戦争以来初めてとなる米空軍の名誉勲章 (Medal of Honor) 推薦候補者 7 名
アメリカ軍で最も名誉ある称号とは名誉勲章(Medal of Honor)であり、イラク・アフガン戦争の期間だけみても今まで数多くの兵士が受章している。しかし意外なことに、空軍の兵士に、両戦争を通じて名誉勲章を受章した兵士はいない。
ワシントンポスト紙によると、この状況を深刻にとらえたデボラ・リー・ジェームズ空軍長官が、過去の特殊作戦に参加した空軍兵士の勇敢な行動を適切に評価し、名誉勲章が授与されるように推薦するように空軍首脳に命じたそうである。
この指令を受けた空軍特殊作戦指令ブラッドリー・ヘイスフォールド中将によると、空軍十字章を受章した7名の空軍兵士の中で1名を名誉勲章候補に推薦する計画だという。
以下が名誉勲章に推薦される兵士である。
2002年3月4日早朝、アナコンダ作戦に必要な着弾観測点を設営しようとしたSealsとともに、タクール・ガール山頂に着陸する際、タリバン・アルカイダの攻撃を受け、ヘリが墜落。(ロバート・リッジの戦い)
墜落の際、チャップマンは致命傷を負ったものの、彼は、激しい銃火の中で2名の敵を倒した。
カニングハムもロバート・リッジの戦いでの戦死者である。彼は、チヌークの墜落の直前に機体から落下したニール・ロバーツ軍曹を救助する緊急対応チームに所属していた。カニングハムの乗ったチヌークも撃墜されたが、彼は機体の残骸のなかで負傷者を手当し、10名の兵士を助けた。
参考資料
ロバート・リッジの戦い ディスカバリーチャンネル 「Situation Critical」(英語)
https://www.youtube.com/watch?v=6DXifx-hr2U
タクール・ハーの戦い(ブログ・日本語)
http://specialforce.militaryblog.jp/e170732.html
2010年5月、アフガンのランハム州の山中に隠された、タリバン勢力の武器庫の捜索を行った陸軍特殊部隊に、統合末端攻撃統制官(JTAC)として配属された。敵の武器庫を発見すると、敵から激しい銃撃を受けたが、クローフォードJr大尉は冷静な判断で空爆を要請し、味方を「キル・ゾーン」から脱出させることに成功した。
アフガニスタンのヘラート州で陸軍特殊部隊に派遣されたグティエレスJr軍曹は、JTACとして、上空を飛行する航空機に空爆を要請する任務を負っていた。
軍曹は、2009年10月5日の戦闘で背中に被弾し重傷を負いつつも無線を操作し、上空のA-10に対し「奴らに30mm機関砲をぶち込め!」と指示を出し、多くの兵士を救った。
ダスティン・タンプル首席空士は、アフガニスタンのヘルマンド川の開墾事業に従事していた。2014年に発生した48時間にわたる戦闘で、タンプルは、75回もの近接航空支援を実行した。この空爆は、特殊部隊およびアフガン軍の非常に近くで行われ、非常に高い精度が求められた。
ダスティン・タンプル首席空士 (右)
Senior Airman Dustin Temple (right)
U.S. Air Force photo by Airman First Class Ryan Conroy/Released
ザカリー・レイナー軍曹は、CCTとして、彼は特殊部隊40名、アフガン軍100名で編成された部隊に派遣された。2008年4月、アフガンのショーク渓谷でタリバン勢力の奇襲にあった際、彼は、上空のF15に的確な指示を出して空爆を成功させた。陸軍の報告書によると、最後の部隊が撤退したあとも、彼一人だけ残って空爆を指示し、味方を安全に退避させた。
陸軍特殊部隊に派遣されたパラ・レスキューのイヴァン・ルイス曹長は、2013年12月にアフガニスタンで超近接戦闘に遭遇した。空軍の報告書によると、ルイス曹長は、味方が激しい銃火にさらされている中でも負傷者を助けに向かったという。銃弾と手榴弾により、2名の兵士が負傷したとき、「恐れることなく」ルイスは負傷者の下へ駆けつけ、反撃した。ルイス曹長は、援軍が到着するまで負傷した兵士を守り、救命処置を施した。Washington Post 2015/09/01
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⇒米空軍十字章 イヴァン・ルイス 1 等軍曹 (第 23 特殊戦術分隊 特殊戦術パラレスキュー)
Text: 友清仁 - FM201509
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