ポーランド軍特殊部隊「GROM」創設 25 周年記念プロモーション映像
ポーランド軍特殊部隊 GROM の創設 25 周年を記念したプロモーション映像が公開中。
映像は財団法人 GROM 同友会 (Fundacja SPRZYMIERZENI z GROM) により製作されたもので、ポーランド人の映画監督・俳優のエリク・ルボス (Eryk Lubos) 氏が出演している。同氏は昨年にも GROM のプロモーション映像に出演している。同財団によれば、本映像のアルバムがこの 9 月から購入出来るようになるとのこと。
ポーランド陸軍特殊部隊 GROM の名称は、ポーランド語で「Grupa Reagowania Operacyjno-Manewrowego」の頭文字から来たもので、英語では「Operational Mobile Reaction Group」、日本語では「機動緊急対応作戦グループ」と紹介されている。なお、「グロム」とはポーランド語で「雷鳴」を意味しており、同国海軍の駆逐艦の艦名を拝した実績を持つ。
こうした国際情勢を背景に、1990 年 4 月、南方をイスラエルと隣接するレバノンの首都ベイルートにあるムスリムウェストで、反イスラエルを掲げるアラブ国粋主義グループ (Martyr Suleiman al Halabi Unit) によって外交官夫妻が襲撃される事件が発生。事件の発生を受けてポーランドは、レバノンにおける自国民間人の移送と外交上の出先機関における安全を確保する為、スラヴォミル・ペテリツキ (Sławomir Petelicki) 中佐 (当時) を派遣した。
レバノンから帰国後、ペテリツキ氏は今回のケースと同様の事態が発生した際に自国民の保護を担う特殊部隊の創設プランを国防省に提出。このアイデアが受け入れられ、1990 年 7 月 13 日に GROM は「JW 2305」として創設される。(「JW」はポーランド語で「Jednostka Wojskowa」を表し、英語では「Military Unit」の意味となる)
(1999 年 10 月 1 日以前の GROM は内務省管轄だったが、その後は軍に移管されている)
新設されたこの対テロ特殊部隊の初代長官には、プランを提出した ペテリツキ氏が就任。ペテリツキ氏は自ら部隊の中枢を担う優秀な士官と、兵士を掻き集めるべく、既に存在した様々な他の特殊部隊を頼り、そのリクルート活動に当たっている。発足した部隊を訓練する為、インストラクターには英米の特殊部隊がその役割を務めていた。
(GROM 創設者のペテリツキ将軍は 2012 年 6 月 16 日に自殺している)
創設から最初の数年間、GROM の存在は公にされることは無く、完全にシークレットな存在だった。しかし、1992 年にその存在がプレスに、また 1994 年には公衆に知れ渡ることとなる。
背景にあったのは、1991 年にハイチで起きた軍事クーデター「Haitian coup d'état」。
このクーデターで、ジャン=ベルトラン・アリスティド (Jean-Bertrand Aristide) ハイチ大統領は国外へ脱出。大統領派の住民による虐殺がおこなわれ、事態収拾の為に米国を中心とした国連が介入。1994 年から 1995 年に掛けておこなわれた「Operation Uphold Democracy」でポーランドが参加。GROM の隊員は、テロリストの手に落ちた人質救出を狙った作戦でその存在感を知らしめたとされる。
現在、GROM は NATO 加盟諸国の特殊部隊と共に協調関係にあり、米海軍特殊部隊 SEALs や英陸軍特殊部隊 SAS など名立たる特殊部隊と同様に世界トップクラスの特殊部隊として位置付けられている。
Fundacja SPRZYMIERZENI z GROM 2015/08/12
GROM / Shadow Spear
2 Poles Shot in Beirut / LA Times
Eryk Lubos / IMDb
"Uphold Democracy" / Polish Gov
Sławomir Petelicki / Embassy of Japan in Poland
1989 年のソ連崩壊 (冷戦崩壊) と共にロシア系ユダヤ人のイスラエルへの移民が増加。一方で、それを阻止しようと企てるイスラム系テロリストの脅威を目の前にし、多くの西ヨーロッパ諸国が民間人の移送に支援の手を差し伸べることがなかった。そんな中で、ポーランドは後に「Operation Most」と呼ばれることになる働き掛けをおこない、数少ない支援国の 1 つとして名乗りを上げている。
こうした国際情勢を背景に、1990 年 4 月、南方をイスラエルと隣接するレバノンの首都ベイルートにあるムスリムウェストで、反イスラエルを掲げるアラブ国粋主義グループ (Martyr Suleiman al Halabi Unit) によって外交官夫妻が襲撃される事件が発生。事件の発生を受けてポーランドは、レバノンにおける自国民間人の移送と外交上の出先機関における安全を確保する為、スラヴォミル・ペテリツキ (Sławomir Petelicki) 中佐 (当時) を派遣した。
レバノンから帰国後、ペテリツキ氏は今回のケースと同様の事態が発生した際に自国民の保護を担う特殊部隊の創設プランを国防省に提出。このアイデアが受け入れられ、1990 年 7 月 13 日に GROM は「JW 2305」として創設される。(「JW」はポーランド語で「Jednostka Wojskowa」を表し、英語では「Military Unit」の意味となる)
(1999 年 10 月 1 日以前の GROM は内務省管轄だったが、その後は軍に移管されている)
新設されたこの対テロ特殊部隊の初代長官には、プランを提出した ペテリツキ氏が就任。ペテリツキ氏は自ら部隊の中枢を担う優秀な士官と、兵士を掻き集めるべく、既に存在した様々な他の特殊部隊を頼り、そのリクルート活動に当たっている。発足した部隊を訓練する為、インストラクターには英米の特殊部隊がその役割を務めていた。
(GROM 創設者のペテリツキ将軍は 2012 年 6 月 16 日に自殺している)
GROM 志願者には肉体的・精神的に疲弊する過酷なフィールドが用意されそこで選別に掛けられる。テロ対策や特殊作戦下での特化した訓練の他、スキューバダイビングやスナイピング、パラシューティングなど様々な訓練が課せられる。また、兵士のおよそ 75% はメディックまたはパラメディックとして訓練を積んでいる他、少なくとも 2 ヶ国語の習熟が求められている。そして、警察系の特殊部隊と違って GROM は、敵テロリストの「捕縛」よりも「排除」を求めた訓練がおこなわれている。
創設から最初の数年間、GROM の存在は公にされることは無く、完全にシークレットな存在だった。しかし、1992 年にその存在がプレスに、また 1994 年には公衆に知れ渡ることとなる。
背景にあったのは、1991 年にハイチで起きた軍事クーデター「Haitian coup d'état」。
このクーデターで、ジャン=ベルトラン・アリスティド (Jean-Bertrand Aristide) ハイチ大統領は国外へ脱出。大統領派の住民による虐殺がおこなわれ、事態収拾の為に米国を中心とした国連が介入。1994 年から 1995 年に掛けておこなわれた「Operation Uphold Democracy」でポーランドが参加。GROM の隊員は、テロリストの手に落ちた人質救出を狙った作戦でその存在感を知らしめたとされる。
現在、GROM は NATO 加盟諸国の特殊部隊と共に協調関係にあり、米海軍特殊部隊 SEALs や英陸軍特殊部隊 SAS など名立たる特殊部隊と同様に世界トップクラスの特殊部隊として位置付けられている。
Fundacja SPRZYMIERZENI z GROM 2015/08/12
GROM / Shadow Spear
2 Poles Shot in Beirut / LA Times
Eryk Lubos / IMDb
"Uphold Democracy" / Polish Gov
Sławomir Petelicki / Embassy of Japan in Poland
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