影の英雄、名誉勲章 (MoH) 叙勲の裏側でクローズアップされる米海軍最精鋭 ST6 (DevGru) 隊員
2012 年におこなわれた米国人医師、ディリップ・ジョセフ (Dilip Joseph) 氏救出作戦で、米海軍最精鋭の ST6 (SEAL Team 6, a.k.a. DevGru) 隊員であったエドワード・バイヤーズ (Edward C. Byers Jr.) シニアチーフへ「名誉勲章 (MoH: Medal of Honor) 」叙勲がおこなわれた輝かしさの陰で、作戦中に敵の銃弾を浴びて倒れ、戦死したニコラス・チェッケ (Nicolas D. Checque) 一等兵曹について、ネイビータイムズがスポットを当てた記事を掲載した。
Photo: Courtesy Ashley Checque via Navy Times
記事は、チェッケ氏の実姉・アシュリー (Ashley) さんよる証言を中心に展開しており、海軍および特殊部隊 SEAL での経歴、ST6 メンバーに至るまでを垣間見ることができるものとなっている。
ペンシルベニア州モンロービルの高校時代から、SEAL 隊員になることに強い憧れを抱いていたチェッケ氏。フットボールと格闘技を嗜む一方で、海洋少年団 (Sea Cadets) に参加していたことはその気持ちの表れであったようだ。陸軍ではなく、海軍一本に自身の将来像を見据えていたチェッケ氏は、アシュリーさんの証言によると、近い将来に直面するであろう SEAL での厳しい訓練に備えてか、寒空の中でも意図的に薄着で過ごし、寒さに耐える訓練を独自に実践していたことが紹介されている。
Petty Officer 1st Class Nicolas D. Checque is shown in an undated family photo.
U.S. Navy photo/Released
その後、描いていた通りに海軍へ入隊したチェッケ氏は、2002 年に SEALs 基礎水中爆破訓練 (Basic Underwater Demolition/SEAL、BUD/S) に参加。そして 2004 年にはバージニアに拠点を置く SEAL チームに配属されている。SEAL 入隊後、自身の更なる高みを目指したチェッケ氏は、ST6 選抜へ挑戦。2008 年に見事メンバー入りを果たしている。
なお、アシュリーさんによると、ST6 ではビン・ラディン容疑者の殺害を実行したチーム (=レッドチーム) とは異なったとのこと。
(後に写真が流出している通り、チェッケ氏は同じくアサルター (強襲) 専門である「ゴールドチーム」の所属)
そして時は流れ、2012 年 12 月。チェッケ氏は、文字通り自身の命運を決した作戦に参加することになる。作戦当日までの流れについては、既報の通りとなっているので、興味のある方は下記リンクよりご覧頂きたい。
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この志願作戦 (volunteer mission) でチェッケ氏は、真っ先に接敵することになる「ポイントマン」を務めていた。当時 28 歳であった。
なお、作戦当日の部隊の動きおよび敵との交戦については、国防総省がバイヤーズ氏の名誉勲章受章を記念した報道の中で図解して紹介している。以下は、その中で記述のあった内容を中心に示している。
ようやくの思いで施設に近付いたところ、暗がりの中に敵守衛が現れた。チェッケ氏はその敵と交戦。行動を共にしていたバイヤーズ氏らチームメイトと共に、こちらの存在に気付いた敵によってジョセフ医師に危害が加えられないよう、その幽閉されている小屋を目指して全力疾走している。
しかし不幸なことに、飛び込んだその戸口で敵が持つ AK-47 が火を噴き、放たれた弾丸がチェッケ氏の顔面を直撃した。その状況に気付いたのか、バイヤーズ氏が怒涛の勢いでドアを通過し、敵の発砲に直面しながらも 1 名の敵にタックルをかましている。なお、この時チームメンバーはその他の敵との交戦中だったと伝えられている。
幽閉されていた小屋の外で銃声を聞き付けていたジョセフ医師。その後、ほど無くして夜間暗視ゴーグルと重武装に身を包んだ兵士が「ディリップ・ジョセフ氏はここにいるのか?」と、聞き慣れた英語で叫ぶ声を確認している。
バイヤーズ氏をはじめとしたチームメイトは救出したジョセフ医師と負傷したチェッケ氏を搬送。チェッケ氏に対する決死の救助活動をおこなったが、ヘリコプターの到着したバグラム飛行場で死亡宣告を受けている。
チェッケ氏は、死後にチーフへと昇進し、海軍で二番目に高位となる海軍十字章 (Navy Cross) が贈られている。
一方のバイヤーズ氏は、生存者が受け取ることが難しいことでも知られる、米軍最高位の勲章を、アフガニスタンでの戦争において 11 番目の生存受章者として、その名を戦史に刻んでいる。
Navy Times 2016/04/09
DoD 2016/02/26
なお、作戦当日の部隊の動きおよび敵との交戦については、国防総省がバイヤーズ氏の名誉勲章受章を記念した報道の中で図解して紹介している。以下は、その中で記述のあった内容を中心に示している。
作戦決行当日、強襲メンバーは、ジョセフ医師が幽閉されている敵拠点から、険しい山岳地帯を掻き分けて徒歩で数時間掛かる場所にヘリコプターから降ろされている。
U.S. Navy graphic by Austin Rooney/Released
ようやくの思いで施設に近付いたところ、暗がりの中に敵守衛が現れた。チェッケ氏はその敵と交戦。行動を共にしていたバイヤーズ氏らチームメイトと共に、こちらの存在に気付いた敵によってジョセフ医師に危害が加えられないよう、その幽閉されている小屋を目指して全力疾走している。
しかし不幸なことに、飛び込んだその戸口で敵が持つ AK-47 が火を噴き、放たれた弾丸がチェッケ氏の顔面を直撃した。その状況に気付いたのか、バイヤーズ氏が怒涛の勢いでドアを通過し、敵の発砲に直面しながらも 1 名の敵にタックルをかましている。なお、この時チームメンバーはその他の敵との交戦中だったと伝えられている。
幽閉されていた小屋の外で銃声を聞き付けていたジョセフ医師。その後、ほど無くして夜間暗視ゴーグルと重武装に身を包んだ兵士が「ディリップ・ジョセフ氏はここにいるのか?」と、聞き慣れた英語で叫ぶ声を確認している。
ジョセフ医師の存在に気付いたバイヤーズ氏は、銃弾飛び交う中でジョセフ医師に飛び付き、馬乗りになってその身柄を確保した。医師の身柄を確保しながら、もう一方の手ではその場に居合わせた敵を抑え込み、そして部屋の向こうにいた他の敵と交戦するという、獅子奮迅の働きをしたことが伝えられている。
U.S. Navy graphic by Austin Rooney/Released
バイヤーズ氏をはじめとしたチームメイトは救出したジョセフ医師と負傷したチェッケ氏を搬送。チェッケ氏に対する決死の救助活動をおこなったが、ヘリコプターの到着したバグラム飛行場で死亡宣告を受けている。
チェッケ氏は、死後にチーフへと昇進し、海軍で二番目に高位となる海軍十字章 (Navy Cross) が贈られている。
一方のバイヤーズ氏は、生存者が受け取ることが難しいことでも知られる、米軍最高位の勲章を、アフガニスタンでの戦争において 11 番目の生存受章者として、その名を戦史に刻んでいる。
Navy Times 2016/04/09
DoD 2016/02/26
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