米Military Times、今年のエアマン・オブ・ザ・イヤーにアフガンで戦ったCCTの軍曹を選出
軍関係者をターゲットとする新聞「Military Times」の空軍向け別紙、Air Force Timesは、毎年、目覚ましい活躍をした空軍の兵士からエアマン・オブ・ザ・イヤーを選出している。今年はアフガニスタンで激闘を戦い抜いたコーディ・スミス技能軍曹が選出された。
スミス軍曹は現在28歳。ニューメキシコ州キャノン空軍基地を拠点とする第26特殊戦術飛行隊のコンバット・コントローラー(CCT)である。上司が呼ぶところの「信条の男」としてその力を空軍に捧げてきた。
アイオワ州出身で、田舎町を飛び出して大きな世界に飛び込むことが夢であった。その手段として最初は海軍を志望していた。しかし高校時代に脱臼し手術を受けたため、四軍すべての入隊資格が保留されることになり、仕方なく大学に進学することになった。
参考:特集:米軍特殊部隊 ― 空軍特殊部隊 AFSOC 特殊戦術部隊(Special Tactics)編 - ミリブロNews
入隊後は2015年と2018年にアフガニスタンへ派遣。イラクとシリア、2014年には陸軍第7特殊部隊緊急即応部隊の一員として中東某所にも派遣された。
エアマン・オブ・ザ・イヤーに選出された理由は、2018年のアフガニスタンにおける、2週間にわたる戦闘である。折しも8年ぶりに行われるアフガニスタン下院議会総選挙に向け、タリバンが候補者や投票所を襲撃し、治安が悪化していた。アフガニスタン国軍だけではこれに対処できず、各国軍が支援していた。
スミス軍曹はJTACとして12名の陸軍特殊部隊員や情報機関の人間などからなるチームに所属し、65人のアフガニスタン兵とともに地域からタリバン勢力を追い出すミッションについた。
そして2018年10月14日、シリン・タガブ地区のとある村で激しい戦闘が発生した。この村はタリバンが拠点としており、米軍チームは1度彼らを追い出したものの、再び戻り防護を強化して米軍を待ち受けていた。その数は600人。スミス軍曹のチーム約10倍にもなる。
タリバンは強固なバリケードとIED(即席爆弾)によって村に入ろうとする米軍の動きを封じ、あらゆる方向から機関銃と迫撃砲の弾を浴びせ続けた。スミス軍曹は車両から飛び出し、民間人の負傷者を救護しつつ、空中支援の誘導を行っていた。自軍に対し近すぎる位置、いわゆるDanger-Closeの距離に11回投弾させるなどして195人を殺害。そのうち1発は、500ポンドの大型爆弾を自分から50メートルの位置に投弾させている。
しかしスミス軍曹自身も無事ではすまなかった。彼の周囲に3発から5発の迫撃砲弾が着弾し、彼は失神しかけた。しかし衝撃のショックで嘔吐するも、彼は治療を拒否し数時間の間戦い続けた。米軍チームは最終的に村の北部に撤退。奇跡的に死者なく、基地に帰投することができたのである。
スミス軍曹はこう述べている。
「自分は特別な存在からは程遠い。あのような厳しい戦いにおいて死者が少なかったのは、陸軍特殊部隊員が個人としてもチームとしても素晴らしい働きを見せたからだ」
Source: Through injuries, blasts and gunshots, 2019 Airman of the Year kept fighting
Text: Chaka (@dna_chaka) - FM201907
アイオワ州出身で、田舎町を飛び出して大きな世界に飛び込むことが夢であった。その手段として最初は海軍を志望していた。しかし高校時代に脱臼し手術を受けたため、四軍すべての入隊資格が保留されることになり、仕方なく大学に進学することになった。
大学に入って1年ほどたったころ。空軍のリクルーターが彼にアプローチし、入隊資格を確認したため彼は空軍に入隊。特殊作戦を志望したため、厳しい選抜と訓練を耐え抜いてCCTとなった。現在、妻と2人の子どもがおり、軍務はもちろん地域コミュニティでも積極的に活動している。
Photo Courtesy of Cody Smith
参考:特集:米軍特殊部隊 ― 空軍特殊部隊 AFSOC 特殊戦術部隊(Special Tactics)編 - ミリブロNews
入隊後は2015年と2018年にアフガニスタンへ派遣。イラクとシリア、2014年には陸軍第7特殊部隊緊急即応部隊の一員として中東某所にも派遣された。
エアマン・オブ・ザ・イヤーに選出された理由は、2018年のアフガニスタンにおける、2週間にわたる戦闘である。折しも8年ぶりに行われるアフガニスタン下院議会総選挙に向け、タリバンが候補者や投票所を襲撃し、治安が悪化していた。アフガニスタン国軍だけではこれに対処できず、各国軍が支援していた。
スミス軍曹はJTACとして12名の陸軍特殊部隊員や情報機関の人間などからなるチームに所属し、65人のアフガニスタン兵とともに地域からタリバン勢力を追い出すミッションについた。
そして2018年10月14日、シリン・タガブ地区のとある村で激しい戦闘が発生した。この村はタリバンが拠点としており、米軍チームは1度彼らを追い出したものの、再び戻り防護を強化して米軍を待ち受けていた。その数は600人。スミス軍曹のチーム約10倍にもなる。
タリバンは強固なバリケードとIED(即席爆弾)によって村に入ろうとする米軍の動きを封じ、あらゆる方向から機関銃と迫撃砲の弾を浴びせ続けた。スミス軍曹は車両から飛び出し、民間人の負傷者を救護しつつ、空中支援の誘導を行っていた。自軍に対し近すぎる位置、いわゆるDanger-Closeの距離に11回投弾させるなどして195人を殺害。そのうち1発は、500ポンドの大型爆弾を自分から50メートルの位置に投弾させている。
しかしスミス軍曹自身も無事ではすまなかった。彼の周囲に3発から5発の迫撃砲弾が着弾し、彼は失神しかけた。しかし衝撃のショックで嘔吐するも、彼は治療を拒否し数時間の間戦い続けた。米軍チームは最終的に村の北部に撤退。奇跡的に死者なく、基地に帰投することができたのである。
スミス軍曹はこう述べている。
「自分は特別な存在からは程遠い。あのような厳しい戦いにおいて死者が少なかったのは、陸軍特殊部隊員が個人としてもチームとしても素晴らしい働きを見せたからだ」
Source: Through injuries, blasts and gunshots, 2019 Airman of the Year kept fighting
Text: Chaka (@dna_chaka) - FM201907
Chaka (@dna_chaka)
世界の様々な出来事を追いかけるニュースサイト「Daily News Agency」の編集長。
タグ :Tech. Sgt. Cody Smith26th Special Tactics Squadron26th STS特殊部隊CCTコンバット・コントローラーエアマン・オブ・ザ・イヤーMilitary Times
★この記事へのコメント
コメントを投稿する
★この記事をブックマーク/共有する
★新着情報をメールでチェック!
★Facebookでのコメント